食べながら読むのには全く適さない本だった:セリーヌ「世界の文学42 セリーヌ/夜の果ての旅」

「坂本竜馬の手紙」の対となる本が、この「夜の果ての旅」であった。
「書評家<狐>の遺産」で挙げられている本とはバージョンが異なるが(訳者は生田耕作だが新しいバージョン)、これしか図書館になかったので借りてきた。

久しぶりの長編で(小さい文字に2段!)読み切れるか心配だったけれども杞憂に終わった。

とにかく面白い。

主人公のバルダミュの波乱万丈の半生を描いているだが、ぐいぐいと引き付けられる。とにかくリアルなのだ。

簡単に言うと、バルダミュが戦争に行き、アフリカに行き、アメリカに行き、それからフランスに戻ってそこでの生活を描いているのだが、アメリカまでの話は文句なしに面白かった。

こう書くと冒険譚のようだけれども、実際はそんな爽やかな物語ではなくて、逆に汚くてグロくて臭くて、しかも絶望的でどうしようもない話である。
バルダミュもすばらしい人でもなんでもなく、いつも女たちと犯ることばかり考えていて、情熱も大してないし中途半端な印象がある(私にとって)。
ひどい環境の中で一生懸命生きて行く、という話というよりは、ひどい社会にもまれて流されていく話に近いかもしれない。
実際に社会に挑んで生きていく人なんて現実の世界でも少数派なのだから、却ってバルダミュのような人の話がリアルに感じるのかもしれない。


物語はバルダミュが友達とノリと勢いで従軍してしまうところから始まる。
そして戦争にほとほと嫌気がさすバルダミュ。

<<……勇気を出せ!フランス万歳!>>想像力の持ち合わせがない場合は、死ぬことはたいしたことじゃない、そいつを持ち合わせているときは、死ぬことはたいへんなことだ。…(中略)…
 あの大佐にいたっては想像力を持ったためしがないのだ。あの男の不幸はすべてそこからきているのだ。それ以上に、僕らの不幸は。(p19)

偵察にいった際に、違う隊にいるロバンソンというフランス兵隊に出会う。彼は逃げようとしていたので、バルダミュも便乗しようとしたのだが、結局うまくいかず二人でめいめい自分の隊に戻っていく。

このロバンソンというのが、この物語のキーパーソンとなっており、バルダミュが行く先々で出会うことになる。位置的にバルダミュの悪い部分を摘出してもっと悪くしたような奴で、バルダミュは彼を恐れるようになる。

このロバンソンと出会い別れるシーンで印象的な文があったので引用しておく;

 灰緑色の長い一筋の帯が遠くのほうで、街のはずれで、闇の中に、早くも丘の頂をきわだたせていた。<<夜明け>>だ!また一日ふえたのだ!また一日へったのだ!ほかの日と同じように、またこいつをくぐり抜けることに苦心しなければならないのだ、ますますせばまっていく環のような、弾道と機関銃の炸裂で満たされた毎日を。(p47)

ロバンソンとの出会いの後、バルダミュは負傷しフランスに戻る。
その後精神病院なんかにお世話になることになり、なんとか戦争から抜け出せそうになるのだった。

ローラというアメリカから戦争を応援に来た女の子と知り合い恋人同士になるのだが、入院中に「戦争が怖い。戻りたくない」と告白すると、意気地なしというレッテルを貼られあっさり捨てられてしまう。

精神病院から出ると、今度は一大発起してアフリカに渡ることにする。
アフリカで金儲けができると聞いたのだ。
船には兵隊が沢山おり、バルダミュのように私用で来ている人は誰もいない。しかも戦争から逃げたくてアフリカに行こうとしている、ということがばれるや、皆でバルダミュを殺さんばかりの勢い。

散々の想いでアフリカに着くと、現場はジャングルの中だという。そこの奴がお金をだまし取っているようだから、そこに行ってそいついにクビだと言い、自分が後任としてそこにいろ、というのだ。

今で言ったら差別発言のオンパレードだが、とにかくアフリカ人の扱い難さ、アフリカのジャングルに住むという苦労が克明に書かれている。
このアフリカの風景の描写だけでも非常にリアルなのだ;

 このアフリカの地獄の黄昏のさまはすさまじかった。のがれるすべはなかった。毎度、巨大な太陽の殺害とも見まがう悲壮な場景。大仕掛けなトリック。もっとも、観客が一人では張り合いのない話だ。一時間にわたって、空は狂おしい鮮血を全身に浴び、大見得をきる、やがて、木立ちのあいだから緑色が湧き上がり、最初の星々を目ざして、地上からゆらめきながら立ち上る。そのあと、灰色が地平線をすっかり奪い返し、それからもう一度、赤色の番だ、がこんどはその赤色もくたびれはて、長持ちしない。それが末路だ。百回興行のあとの安ぴか衣裳のように森の上ですりくたびれ、色彩は一つ残らずぼろぎれになってくずれ落ちる。(p164)

この前任者なのがロバンソンなのだが、それに気付いた時にはすでに遅く、ロバンソンはとんずらかく。
バルダミュもやってらんない!と逃げ出すことにするが、熱病にかかってしまい、なんとか街に出て教会にお世話になるも、そこの神父によってアメリカ行きの船に売られてしまう。

船長たちのおかげで病気はよくなったものの、アメリカに行くだけで陸にはあがらないことに不満を感じる。

結局仲間の意見をふりきってアメリカへ上陸し、虱を数えるという特技をかわれて雇われ、最終的にはニューヨークへ行く。
虱を数える仕事を辞めてしまい、お金も底をつきだした為、フォードの工場で働くことになる。
結局それも長く続かず、アメリカの生活が嫌になりフランスが恋しくなったバルダミュは故国に帰ることにする。
(アメリカでの生活でもロバンソンに出会う)

フランスで、戦争に従軍するまで医学の勉強をしていたので、その続きを行い医者となる。
ところがそこの住民になめられているのもあって、まったく金儲けができない(当時は料金設定などがなかったようだ)。

そんな住民の中に夫婦と夫の母親が一緒にすんでいる家族があった。嫁は経費削減のためにも姑を修道院かどこかに預けたい。そんなわけでバルダミュに精神異常の診断を下してほしくてたまらないのだが、バルダミュはのらりくらりと避けている。

そんな折に現れたのがロバンソン。
嫁からの要請で、姑を殺すという仕事を請け負ったのだ。
しかしその仕事は失敗に終わり、逆にロバンソンは目を負傷する。
結局、ロバンソンと姑は離れた土地に追い出されるのだった。

バルダミュは医者生活に嫌気がさし、一時は下っ端の役者なぞをし、今度は精神病院のスタッフとして働く。
そこの院長は、その病院から出たことがない人だったのだが、バルダミュの話を興味深く聞いている。

娘に英語を教えてやってくれとバルダミュに頼むのだが、英語に熱心になってしまったのは院長。
ついに旅に出ると言って、娘を親戚のもとへ預け、病院はバルダミュ達に一切を任せて行ってしまう。

一方ロバンソンはというと、バルダミュが会いに言ってみるとフィアンセができていた。
例の姑と一緒になって、墓場を公開して金儲けをしている娘だった。
しばらく滞在している内に、姑が墓場のはしごから落ちて死んでしまったらしい、というニュースを聞く。関わりたくないとばかりにバルダミュは帰ってくる。

すると、すっかり目がよくなったロバンソンがバルダミュを訪ねてくる。
どうやら姑を殺したのはロバンソンのようだ。
フィアンセのことはすっかり冷めてしまったロバンソンは、彼女から逃げてきたというのだ。
その彼女もロバンソンを追いかけてきて、泥沼と化す。
ダブルデートと決め込んだタクシーの中で、その彼女が激昂し出し、最終的にロバンソンを銃で殺してしまう。

えらく長くなってしまったがこんな感じ。
アフリカのシーンは自分にとって衝撃的だったのか夢まで見てしまった。


セリーヌ 「世界の文学42 セリーヌ/夜の果ての旅」 生田耕作・大槻鉄男訳 昭和39年 中央公論社

(下はこの記事の版ではないけれども、多分こちらの方が良いはずなので…)

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