「バッテリー」をちょっと読んでみようと思った:あさのあつこ「弥勒の月」

友達に「バッテリー」を勧められたが、立ち読みした最初の部分でひねた野球少年が云々というくだりが、どうも今の気分にあわなくて読まずに今に至る。でも、遠い昔のFigaroに紹介されていた同じ作者の「弥勒の月」が気になり、やっと借りて読んでみたら・・・

またもや、私は何をもってこの本に興味を抱いたのか謎。たぶんタイトルだろうが。そしてそのタイトルから勝手に想像していたのと、中身がえらい違ってびっくり。まず江戸時代の話とは知らなかった・・・

そうは言っても、話の内容としては十分楽しめた。

捕り物話で、同心の信次郎、岡っ引きの伊佐治が話の中心人物。
江戸時代で捕り物話といったら、人情ものが定番のような気がするが(宮部みゆき作品みたいに)、今回はちょっと違う。

まず同心の信次郎が残忍性のある、時々何を考えているのか分からない、危険な香りがする奴なのだ。
話は小間物問屋・遠野屋の若奥さんおりんが身投げするところから始まる。その旦那というのが婿養子で遠野屋の若旦那におさまった清之介。

清之介がたっての願いで信次郎・伊佐治は事件を洗いなおすことになる。といっても実際のところ、信次郎はこの遠野屋をいたく気にしていて、伊佐治と共に捜査することになったのだ。
確かに遠野屋はただ者ではないようで、武士くずれ、しかもただの武士ではないらしいのをちらちら伺える。

そうこうしているうちに、おりんが身投げするところを見た履物問屋の主人や、その主人を見ていた夜鷹蕎麦のおやじやらが殺された。挙句の果てには遠野屋も襲われる始末。

と色々事件は起きるが、なにが魅力的って一筋縄にはいかない登場人物。
信次郎はもちろんのこと、後ろ黒いらしい遠野屋といいもっと知りたくなる。二人のコンビがいいと思ったのが、遠野屋の義理の母親(つまりおりんの母親)が首を吊っているのを見つけた時の反応;

 人がぶら下がっていた。鴇色の紐の先に女の身体が揺れている。
「遠野屋!」
 信次郎が叫んだ。鞘を持って、柄を向ける。遠野屋の指が柄を握った。同時に、刀身が鈍く煌く。信次郎は、両手を広げ、落ちてくる女の身体をがちりと受けとめた。僅か半歩のよろめきもなかった。

p77-78

一気にかっこいいと思ってしまったシーン。

登場人物に続き、情景描写もなかなかよかった(ちょっと偉そうな口ぶりだが);

 女中が軒行灯に灯を入れた。それを合図に、店内に灯がともる。しかし誰も、帳場側の行灯に灯を入れようとはしあかった。自分たちを囲む闇が、一層濃くなったのを伊佐治は感じた。

p55-56

 曲り角で立ち止まり振り向くと、遠野屋は、まだ店の前に立っていた。振り向いた伊佐治に頭を下げる。その身体の上に細かな雪片が無数に舞い落ちていた。漆黒の夜の中で、軒行灯に照らされたそこだけが、淡く浮かび上がり、雪に閉ざされていく。現とはかけ離れた、妖かしの絵のようだ。

p84

江戸時代の小説となると、暗闇の中の光の描写がよく出てくる気がするが、そこもこの時代を舞台にする上での魅力なのだろう。

とここまでいい材料がそろっているのに、最後のあの終わり方はないだろう!!と声高に言いたい。
あのあっけない真相。そして尻切れトンボ的な終わりかた。
違う結末を見たかった。

(あさのあつこ 「弥勒の月」 2006年 光文社)

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