天野喜孝はやはり最高だ!:山颯「女帝 わが名は則天武后」

またもやFigaroより。
そこの書評に「権力の座についた女は、男の”嫉妬史観”(?)もあって、たいてい悪女。本書の語り手である唐の則天武后(7世紀)も、彼女が玉座にいた周(国号)はなかったことにされた。そんな彼女に血肉を与える本書は史実を丹念に拾うが(中国史はそれだけでドラマティック!)、どこか回想調の語りになっているのが印象的。この手法が最大の効果を上げるのがラストの8行。女の普遍を謳うような、まるで詩」

こんなことを書かれたら読むしかないではないか。
と言ってもなかなか巡り会えず。なぜか図書館の検索にヒットしなかったのだ。ところがある時、図書館の本棚をちらっと見たらあるではないか!! 運命!!

なーんて。

肝心の中身はというと、単純な感想だがとても面白かった。

だからこそこのFigaroの書評に不満を覚える。何せどう考えてもこの人、最終章しか読んでいない気がしてならないのだ。つまりこの書評にて触れられてるのは全て最終章に書かれているものなのだ。
例えば’男の”嫉妬史観”’という下り;

…(中略)…私は野望に狂った女の象徴と見なされている。年代史では、私は王皇后を陥れるために娘を絞殺したと書かれている。女性蔑視の歴史家たちは、私が自分の権威に異議を唱えた長男を毒殺したと非難する。

p373

なんてそのままではないか!!

そして件の最後の8行。とても楽しみにしてワクワクしていたのだが;

 私は赤らむ牡丹であり、揺れる木であり、ささやく風である。
 私は巡礼者を天の門へと導く険しい道である。
 私は言葉や叫びや涙のなかに存在している。
 私は浄化する痛みであり、侵食する苦悩である。
 私は季節を経て、星のように輝く。
 私は人間たちの物憂げな微笑みである。
 私は山の寛大な微笑みである。
 私は永遠という歯車をまわす者の、謎に満ちた微笑である。

p375

ん~~ そんな大層なものか。いや締めとしては申し分がないが、そんな大げさなものではないよ、と思う。

では何が魅力的なのか。

確かにこの書評に書かれるとおり、回顧調の口調がとても印象的なのだ。
何せ、これは則天武后(本の中では武照)が産まれるシーンから始まるのだ。もちろんそこも回顧調。
そして最後は自分が死んで、何年も経ち自分の陵から世界を見つめて、例の8行が紡がれて終わるのだ。そんな形式の歴史小説ってなかなかない。

話自体ももちろん面白い。

裕福の家に生まれた武照。ところが父の死をきっかけに貧しく卑しめられる生活が始まる。
それがひょんなツテで後宮に入ることになるのだった。その後宮の生活に完全に蝕まれることなく、武照らしく生きるのだった。

やがて皇帝の息子の寵を受け、皇帝がなくなって皇子が位を継いだ後には皇后になるのだった。
といういわゆるサクセスストーリーは面白いし、後宮の女の戦いというのも興味深い。そしてその中で皇帝の寵を得ることに固執しない武照は単純にかっこいいのだ。

それが不思議なことに皇后になり、皇帝の代わりに政務をこなすことによって権力を欲しいままになった頃から、武照が”並の人間”にしか見えなくなる。やはり、頂点を極める人間は並みではないが、栄華を極めた人間は似た行動をとり似た末路をたどるのだろうか。

(山颯<シャン・サ> 「女帝 わが名は則天武后」 訳:吉田良子 2006年 草思社)

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