三代そろって同じ分野の学者って他にもあることなんでしょうか?:金田一春彦 「日本語は京の秋空」

大学時代に友達から金田一春彦先生の本借りた。
ちょうど留学中で「言葉」に対して敏感になっていたせいか、うぉぉぉおおおお!!!!とツボにはまって一気にファンになってしまった。といっても、あんまり読んでないけど。

そんなわけで本屋でちらりと見かけ、思わず手にとった「日本語は京の秋空」。

目次は以下の通り;

  • 嫁ぐ―赤縄の縁
  • 恋文―ラブレター
  • 兄弟序あり
  • いそしむ文選一里
  • 面接試験
  • 日本人の笑い
  • 人との関わり
  • 江戸・東京の言葉
  • 言語形成期
  • 常識
  • はやり言葉
  • 言霊
  • 悪口雑言
  • あえる
  • 舞台の名乗り
  • 尋常性ざ(「座」のやまいだれバージョン)瘡

内容は細かく書けないので抜粋するが、まずは「っへぇええ~」と思ったのを、標準語の生い立ちの話から;

 もともと徳川将軍家は、三河(愛知県東部)出身である。「三河屋」「伊勢屋」「近江屋」など、江戸で身代を築いた商人は関西人が多い。だから、この人たちの話し言葉の中には関西方言の影響が色濃くみられる。たとえば「おめでとうございます」「ありがとうございます」という言い方だが、これを純粋に関東弁で言うなら「おめでたくございます」「ありがたくございます」になる。

p87

標準語が成り立つ上で、関西弁が深く影響を与えているというのは前に読んだ本でも書いてあったが、「ありがとう」「おめでとう」のことは書いてなかったと思う。確かに、関西弁って“とう”に変換する節がある! これは神戸弁だけど「○○やっとお(やってる)」って言うし! と膝をポンと叩きたくなった。

金田一春彦氏の何がいいって、日本語を本当に愛してるんだなぁ、としみじみ伝わってくることだ。
しかも、「今の日本語は乱れている!」と頭ごなしに批判するのではなく、逆に“言語というのは常に変化するものだ”というスタンスをとっている。ま、考えれば平安時代と江戸時代でも言葉が違うし、変化するものなんでしょう、言語は;

こうして見てみると、はやり言葉というのは、庶民にとっての娯楽から生まれた言葉が大変多いということに気付く。現代のテレビや雑誌のようなマスコミがなくても、戦記物を語る講釈師、落語家、歌舞伎など、大衆にアピールするものがあったのである。そういう中から流行語が生まれたということは、昔も今も変わらないことが言える。

p115

やはり言語はコミュニケーション・ツールなのだから、多数とコミュニケーションを取る場である庶民の娯楽でこそ、発達するものなんでしょうかね。

あと、へ~と思ったのが、忌み言葉について。

「言霊思想」というと、何やら日本特有な感じがするけれど、他の言語でも見られて、例えばスペインでは蛇のことを“ヘビ”と呼ばずにラテン語の“這うもの”といい、英語の“bear(熊)”も「褐色のもの」という意味だそうだ。
確かに、「ゲド戦記」でも言葉は重要な役目を持っていたし、聖書でも「はじめに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。万物は言葉によってなった。なったもので言葉によらずになったものは何一つなかった」的なことも言ってるしな。あれ?これはちょっと“言霊思想”とはちょいと違う様相のものなのか?

あと追加で、養蚕農家では蚕の敵であるネズミのことを「嫁が君」というらしい。可愛いな。
可愛いなついでに、金田一先生も可愛い(といったら失礼かもしれないけど)。

出かける間際に「ハトガマメクッテ、パ」と唱えるらしい。これは「ハ」ンカチ、「ト」けい(時計)、「ガ」マグチ、「マ」んねんひつ(万年筆)、「メ」がね、「ク」し、「テ」ちょう(手帳)、「パ」ス(定期券)のことらしいが、“くし”を持ち歩くとはなかなか身だしなみを気にする方だったんですね。

「言葉は変化するものだ」というスタンスをとっていらっしゃる金田一先生だが、もちろん日本人の美点を現す言葉が消えることに寂しさを感じていらっしゃるみたいだ。そんな中で;

会社より自分が大事、仕事をとるより自分の生活や趣味をとるか。それはそれで結構だと思うが、一つだけ忘れてほしくない日本語がある。それは「いそしむ」という単語である。
…(中略)…「励む」と「いそしむ」は意味が少し違う。「励む」はガムシャラに働くことだが「いそしむ」は働きながら、働くことに喜びを見出だしているというニュアンスがある。…(中略)…日本人の労働時間が短くなり、働くことよりも遊ぶことを大切にする生き方に変わったとしても、この言葉だけはいつまでも生きのびてほしいと思うのだが。

p44-45

身にしみる言葉です……。
日曜日の夜に読むのにぴったりかもしれぬ……。
最後に、金田一春彦先生のお父様が言語学者だったというのはもちろん知っていたが、二人の息子さんが言語学者ってのにはびっくりした。

そしてその内の一人、金田一秀穂氏が最後に「随想」を書いていて、そこで「言語が変化するのは当たり前のことだ」「そうは言っても“若者は言葉が乱れてる!”と思ってしまうよ…むにゃむにゃ」というところを解説していた;

 なぜ人は言葉が変化することに対して不快感を持つのか。
 人は思春期までに、言葉によって自分のアイデンティティを形成する。アイデンティティは、言葉でできている。…(中略)…
 しかし、周りの言葉は、勝手に変化していく。…(中略)…それは、自分のアイデンティティに対する冒涜のように思えてしまう。それが許せない。それで、言葉に対して、人は保守的にならざるを得ない。

もう何年か前に亡くなられたが、今だに「そうだ、亡くなったんだった」と寂しく感じる。
ま、金田一先生の著書すべて読んでから寂しく思えって感じだが。

(金田一春彦 「日本語は京の秋空」 2009年 小池書院)

コメント

タイトルとURLをコピーしました