誠太郎がどんどん大人びてびっくり:住井すゑ 「橋のない川 第二部」


このところ仕事が忙しくて、まったく読書ができなかった。涙・涙・涙である。
そんなわけでやっとこさ読み終わった「橋のない川 第二部」である。
とぎれとぎれで読んだおかげで、しかも転寝しながらだから、断片的にしか話を覚えていないという事態。

今回は弟の孝二が主人公。兄の誠太郎は大阪に丁稚に行ってしまって、手紙が時々きたり里帰りする時くらいしか出番がない。
いまいち当時の学校の制度が分かっていないが、孝二は高等小学校に上がる。誠太郎はそっちに行く前に丁稚に出てしまったみたいだが、この高等小学校、男子だけでしかも、他の小学校からも集まってくるみたい。

ここでは「えた」とはやされることはないが、無言の差別というものをひしひしと感じて、かえって居心地の悪い思いをする孝二たち小森の子供達。
それでも成績優秀な孝二は副級長に任命され、その後も投票により級長を務めることになる。

私にとって衝撃的な事件が3つ。
まず、誠太郎を含め孝二たちがお世話になった江川先生が亡くなったことだった。
ただ一人、小森の子供達を差別しなかった江川先生。誠太郎は多いに江川先生を頼って慕っていたし、読んでいる者としても、誠太郎達が差別を受けている中での安らぎだった。
その江川先生が病気で亡くなったとは。孝二の哀しみがそのまま読者である私の哀しみとなった。

2つ目は、またもや訃報だが武が亡くなったこと。
武は第一部では、小森を火事にしてしまい、その後いたたまれなくなって学校に行かなくなってしまった。
武の両親(特に父。第一部で誠太郎達の畑から水を盗んだりした)がひどくて、武を物乞いのような真似をさせたり、挙句の果てには大阪に丁稚に行かせることに。
それが嫌で嫌でしょうがなくて、でも親には「嫌」とは言えない武がとった行動というのが、自殺だったのだ。
たった11歳での自殺。
11歳の子供が、体中を刃物で刺して死んでしまったという凄惨な出来事が、衝撃的だった。

3つ目は、最後のシーンより。
孝二は修学旅行で京都に行くことになるのだが、いつも行動を共にしていた小森の仲間は足を怪我して断念。
孝二は一人で行くことになる。
夜、消灯の時間になって、一緒の部屋の同級生達がトイレに行ってしまう。“もしや…”と思った孝二の疑念は晴らされることなく、しんと寝静まる時刻になっても帰ってこない。
涙を流しながら、寝る準備をする孝二が本当に可哀想で可哀想でしょうがなかった。

 孝二は静かに袴の紐を解いた。
“明日の晩は忘れぬと、袴を蒲団の下に敷いて寝や。襞のとれた袴で京の町を歩くのはみっともないさかいな。”
 ゆうべの母の声が、はっきり耳の底によみがえる……。
“お母ん、みてて。わし、袴をたたむで。”
 おぼつかない手つきで、孝二は一本、袴の襞を折りたたんだ。五つ六つの頃の自分の姿が、ひょいと幻に浮かんだ。
 二本めの襞を孝二は折りたたんだ。今までに読んだ数々の物語が、夢のように眼先にちらついた。
 三本目の襞を折りながら、孝二は、“幸徳秋水”とつぶやいた。そして四本めの襞に、孝二はまちえの面影をたたみこんだ。
 五本め、六本め。涙が滂沱頬を流れた。
 やがて孝二はふとんの下にそろっと袴を敷きこみ、膝をそろえてその上に座った。
 白いシャツの袖口が眼にしみる。孝二は思わず、“兄やん!”と叫び出しそうになった。けれども、孝二はそれをこらえて立ち上り、ぱちんと電燈のスイッチを切った。とたんに、足もとがぐらりとよろめいたが、それも一瞬、孝二は手さぐりでもとの位置に坐った。
 程なく、孝二はどこかで時計が一時を打つのを聞いた。

(p402)

ちょいと長くなってしまったが、丹念が情景描写が映像のようで、ますます孝二の哀しみが伝わってきた。
修学旅行のためにと、いつもの夜業の後に着物を縫ってくれた母。白いシャツやらタオルやら、旅の支度を送ってくれた誠太郎。

そんな色んな人から支えられての修学旅行だったのに、すべては“小森出身だから”という、孝二にはどうしようもない理由から台無しにされてしまう。
自分は修学旅行は楽しかったという記憶しかないから、余計に辛かった。


住井すゑ 「橋のない川 第二部」 1992年 新潮社

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