期待が大きかっただけに辛口です:萩 耿介 「松林図屏風」

著者 : 萩耿介
日本経済新聞出版
発売日 : 2008-11-29

長谷川等伯の「松林図屏風」が表紙を飾った本書。
「松林図屏風」が好きな私の目を瞬時で奪い、しかも長谷川等伯の生涯を小説化したものと知れば、読んでみたくなるのも道理。
でも本屋で出逢ってからしばらく忘れていたのだが、ただいま「長谷川等伯展」なるものが開催されていて、それを観に行こう!となってから、「あ!」と思い出したのだった。
ということで図書館で予約して、ぎりぎりに回ってきた「松林図屏風」by萩 耿介。
日にちがないので、夜更かしして読み終わったのだが……

大変面白くなかった!!
長谷川等伯に焦点を当てて話が進むのかと思いきや、等伯の息子・久蔵にもスポットライトがあたり、まぁ久蔵は等伯の絵画にも影響しただろうからいいとしても、久蔵が恋焦がれる人妻・璃枝、挙句の果てには璃枝の旦那まで焦点があたるのだから、なんともまとまりがない。
特に璃枝の旦那・義晴の話なんて非常に蛇足。

それでも最初の方は面白かった。
まず本能寺の変から始まり、仕事が取れずに困窮に苦しむ等伯が登場する。
そこで伝手をたどって堺の商人から“この世あらざる絵”を注文される。題材はなんでも良い。
期待に胸を膨らませるが、その商人の事情によりその注文が流れる。
それでも“この世あらざる絵”は等伯の胸に引っかかり、その息子で才能あふれる久蔵にも影響を及ぼす。

もうこれだけで話になるはずだった。
“この世あらざる絵”を描きたいが、生活のために奔走して面白くない絵も描かなくてはいけない。
それに反発する才能豊かな久蔵。
そして等伯の道をことごとく潰していく狩野永徳。
永徳の死後、やっと取れた祥雲寺の仕事。
それに精魂つぎ込む久蔵は死んでしまう。
失意の中、等伯は仕事をこなしていって、最後に“この世あらざる絵”「松林図屏風」を描きあげる。
とまぁ、こういう流れになっているといえばなっているが、いらない部分が多すぎて、非常に邪魔している。

何度も言うが、奈何せん義晴のシーンが長すぎる。そして義晴の愛妾がふたなりという設定なんて、なんで必要なのかさっぱり分からない。作者の趣向としか思えない。
そしてクライマックスの「松林図屏風」もあっけなさすぎる。
もっと

たとえ狩野であっても、精魂込めた絵が容易く失われてよいはずがない。絵は描き手の熱を帯びてこの世を焼くものだ。この世に焼かれては逆になる。

(p20)

という情熱が随所に表れてもいいし、久蔵の死を悼んで

お前は絵を考えすぎだ。絵ばかり追いかけすぎた。絵はこの世ではない。人が作ったものだ。にもかかわらず、それに執着しすぎると、本当のこの世から離れてしまう。

(p264)

と嘆くシーンが長くてもいい。
とにかく最初のシーンである本能寺の変にて、我を忘れて戦での業火を描き続けるような情熱が最後まであったらよかったのに、とつくづく思った。
せめての救いは、「長谷川等伯展」を見る前に読み終わったこと。
これが後だったら、この興ざめ感は何倍にもなったと思う。


萩 耿介 「松林図屏風」 2008年 日本経済新聞出版社

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