孝二も21歳か…と思うと妙に感慨深いものがあるなぁ:住井すゑ 「橋のない川(四)」


割とコンスタントに読んでいる「橋のない川」。
早いもので四巻になった。ということは・・・出ている分の半分は超した!
でも正直、四巻はそこまで面白くなかった。
って、こういう話にどこまで物語としての“面白さ”を求めていいのか謎だけれど、明らかに前までのほうが面白かった気がする。
もともと思想が入った本ではあるが、本書はその思想が全面的すぎて、登場人物があまり生きていなかったと思う。

短く言えば、あまりに論文っぽすぎる。
一応孝二達が考えたり、しゃべったりする形で思想が語られてはいるものの、そちらにばかり重点がおいてあって、孝二の生き様の描写が希薄になっている気がした。
もっと孝二や誠太郎の成長(それが思想の成長でもいい)が描かれていたらな、というのが正直な感想だった。
さて、肝心なあらすじはというと…

ほぼ孝二のお話となっている。
なにせ誠太郎はシベリアへ出兵してしまって、だからといってシベリアでの体験がつづられている訳ではないので、最後にちょろりとしか出てこない。
私はというと、いい子ちゃんな孝二よりも、もがきながら生きている(といってもこの頃、賢くなりすぎた感もあるけど)誠太郎のほうが、人間くさくて好きなので、ちょっと残念。ま、孝二も好きだけどね。

この巻で一番の山場となったのが、孝二たちの母校での講堂の新築祝いを兼ねての同窓会に、孝二たちが出席するシーンだろう。
そこで論争が繰り広げられるのだが、秀昭(小森のお寺の子息)のスピーチに、ほとんどいちゃもんと言っていいようなスピーチがまた為される。それに対して孝二がすかさず壇上にあがり、それに応酬するシーンはさすがにスカッとした。
そしてその後、秀昭たちは部落解放運動のさきがけとなる、全国水平社の結成を果たすのだ。

そこで本書は終わる。
日々、仕事に追われ、差別を受け貧しい生活を強いられるが故の悲しい出来事が起きたりする中で、孝二は本をたくさん読んだり、秀昭たちと意見を交換することで、“エタでいるということは”といったことを熟考しているのは、今までとは変わりない。

それが次の展開へと発展して、皆の前でその考えを披露したり、水平社の結成にいたったり、といったところで、ようやく思想が形になったという感じがする。

では何が気に入らなかったかというと、例えば誠太郎の結婚がたった1行で終わってしまったり、慕っていたおじいさんがあっさり死んでしまったり、と割と大きなイベントがあっさりしていたところ。
確かに、水平社の結成に重なるところなので、そこを大々的にやってしまったら流れが変なことになってしまうかもしれないけれども、もっと日々の営みを描写することで、思想から行動へ、という流れを表現してほしかった気がする。

な~んてえらそうなことを言ったけれども。
やっぱり学ぶことは多くて、“仕事をする”という面でガツンときたのは、やっぱりぬいさんからだった。

「そいじゃお祖母んは、来年もまた田植に出てくれるのけ?」
「出るともな。それがあたりまえや。そうかて、わいは何も仕事をせぬと、じっとしてるほどつまらぬ事はないと思うてる。」
「けど、それは、仕事をせぬことには生活が立たぬからとちがうのか。いつかも言うたことやが、金持ちの人らは何も仕事をせぬかてちょっとも退屈してないそうな。その金を使うて、いろいろな遊びが出来るさかいに。」
「せやけど、そんな生活では、自分の力というものがわからぬやろが。そうかというて、俵にした米の大方を小作に納めるのも、むろん辛いことやけどな。」
…(中略)…ぬいは自分の可能性を発揮することのよろこび、即ち生産や創造のよろこびについて語っているのだ。そして同時に、そうした人間の純粋なよろこびがよろこびにならず、かえって悲しみや苦しみとなる社会の矛盾をうったえているのだ。(p386-387)

私は、この辛いときでも大口を開けて笑うぬい祖母さんが大好きで、孝二たちの成長振りを読むのも好きだけれども、このお祖母さんの言動に救われている気がしてならない。
こんな明るいお祖母さんとお母さんに支えられてこその、孝二の心身ともにした成長なんだな、と彼女たちが登場するたびに思う。


住井すゑ 「橋のない川(四)」 昭和56年 新潮社

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