そういえば秋乃茉莉さんの漫画で安徳天皇話があったなぁ:宇月原晴明 「安徳天皇漂流記」


遠い昔のFIGAROで紹介されていた「安徳天皇漂流記」。
ある時思い立って借りてみた。
安徳天皇といえば、言わずと知れた「浪の下にも都はありましょうぞ」と慰められ、祖母と一緒に沈んだ、まだ幼き帝。
その時に三種の神器も沈み、その中でも剣は見つかっていない、というのはぼんやりとした知識として持っていた。
だから“漂流記”ってのが面白そうだなと思って、当時FIGAROからメモったのだが。
う~ん 総合していうと、あまり面白くなかったな。期待が大きかったせいもあるかもしれないが。

本書は二部に分かれていて、第一部は“源実朝編”、第二部は“マルコ・ポーロ編”となっている。
第一部はタイトルの通り、源実朝が主人公となっている。
実朝といったら、またもや不憫な将軍。自分の従兄弟(だっけ?)の公暁に暗殺されてしまったと日本史でやった。
ついでに、百人一首の本を読んだ時に、将軍というよりも都に憧れ、和歌を詠んでいたと書いてあって、それも哀れだなと思った記憶がある。
なにはともあれ。

この第一部が、私としてはあんまり面白くなくて、何度読むのを止めようかと思ったことか!
語り口調で書かれているのだが、誰が語っているのかとか、誰に語っているのかが一切出ていない。
ただぼんやり分かるのが、実朝の側近で身分が高くない者が語っている、ということ。

でも“誰に”というのがよく分からなくて、まぁ 分からないまま進む小説は他にもあるが、これが厄介なのが、時々その語っている相手に合わせてしゃべったりするのだ。
だからその“相手”の存在がくっきりしていて、それでいて正体不明というのが、なんとも読みにくくてしょうがなかった。

もう一つの読みにくい理由が、『吾妻鏡』や実朝の和歌が原文のまま引用されているところが随所にあるということ。
というか、その引用で話が進んで行っている。古文を読み解くのが面倒臭い人には、厄介であった。

と文句はこれくらいにして肝心な話はと言うと、実朝が主人公というのはすでに書いたとおり。
ある時、実朝のもとへ天竺の冠者が現れる。彼に連れて行かれたのが江の島(当時は本当に島だったそうだ)の洞窟で、そこには琥珀の中に眠る安徳天皇がいらっしゃったのだ。
真に不思議なことで、その琥珀の中で、安徳天皇は眠っているのだ!
彼が握るのは失われていた剣、それから塩乾珠と塩盈珠も握っていらっしゃる。

それからこの語り部と実朝は、夢の中で何度も安徳天皇に会う。
そして最後に実朝は、安徳天皇を鎮めるために、自ら暗殺され、その首を語り部に取らせ、それを安徳天皇に献上させるのだった。

その時に安徳天皇は、塩乾珠と塩盈珠を取り落とし、それを語り部が受け取る。
蒙古襲来の時に嵐で蒙古軍が一掃されたのは、この珠のおかげだった、というのがこのお話の顛末。

それから第二部“マルコ・ポーロ編”に入ると、今までのもやもやがサアァーーーーっと溶けていく。
語り部が語っていた相手ってのはマルコ・ポーロの手下で、そのお話をマルコ・ポーロがクビライ・カーンに披露するためであったのだ。

ああ、だから中国人に話している風だったのね、と分かる。いかんせん、異国の人(というか中国人)に話している、というのは分かっても、何が目的なのか皆目見当がつかなかったのだ。
それが、中国人が蒙古襲来時の嵐はなんだったのかを聞く、という図が分かれば、なるほどぉぉおお!となるわけだ。

なので、第二部の出だしは非常に面白かった。

全然関係ないところで面白かったのが、あの有名な「祇園精舎の鐘の音~」というやつを、モンゴル語に訳してクビライ・カーンに披露するシーンがあるのだが、その訳した感じがよく出ていたところ;

 サへートの庭に響く鐘の音は
 あらゆるものがうつろいゆくことを教えてくれる
 サーラ樹の花の色は
 栄華を誇る者も必ず滅びさるという道理を示してくれる
 力に驕る者も長くは続かない
 短い春の夜に見る夢に似て
 強く盛んな者もついには滅びてしまう
 誰もがみな、風に吹き散らされる塵に等しい

(p186)

本題に戻ると、マルコ・ポーロ編といっても、実際の主人公はどちらかというと違う人で、モンゴル帝国に大敗した宋の最後の皇帝であった。
この皇帝も幼い皇帝で、モンゴルからの手から逃げるhという逃亡生活を送っている。

ある時、人間の子どもを包んだ琥珀を見つける。
自分の隠れ家に連れてきた時から、皇帝はその子に出逢う夢を見るのだった。
もちろんその子どもこそが安徳天皇なのだが。
この二人のやりとりが筆談というところに微笑みを感じる。
そして二人は、同じような境遇とだけあって、非常に仲良くなるのだった。

そこで場面が代わり、マルコ・ポーロに視点が戻る。
彼は宋の皇帝がガラス細工が出来る人を捜している、と聞いて、必死のコネで技術者をかき集めて乗りこむ。
そしてひょんなことで、その安徳天皇が入っている琥珀、話に聞いた琥珀を見るのだ。

そして最後に自分たちが依頼されていたものの用途を知る。
それは、安徳天皇の琥珀のようなものをガラスで作らせ、そこに宋の皇帝が入って、二人もろとも海に沈むためのものだったのだ。

そうしてマルコ・ポーロは宋朝の最期を見届けるのだった。
とここで終われば物悲しく終わってよかったのに、微妙な蛇足がつくのだ!
最後の最後に、実朝の前に現れた件の天竺冠者の子孫が現れ、マルコ・ポーロを連れ去ってどっかに行く。

そしてそこで安徳天皇の最期に立ち会うのだが、私としては結局安徳天皇がどうなったのか分からないまま終わってほしかった。
って、作者の想像の産物にいちゃもんをつけるのは野暮なことかもネ。


宇月原晴明 「安徳天皇漂流記」 2006年 中央公論社

コメント

タイトルとURLをコピーしました