記念すべき初めての読書会にて、紹介された「永遠の0」。
その時に、“浅田次郎の『壬生義士伝』を下敷きに書かれた”と言われたので、まず「壬生義士伝」を読もうということで読んだのがこれ。
それからまあ時間が経って、買って手元にあったのにずるずると読まずにいて、しかも本屋では山積みにされているのを見るたびに「読まなきゃ」とは思っていて、やっと読み始めたのが去年の暮れ。
なにせ文庫だから外に持っていけるんだけど、内容が内容だけにうっかり電車の中で泣いてしまったら困る!てんで、持って行きもできず、かと言って家でしめっぽい本を読む気にもなれず、私にしては長いスパンをかけて読み終えた。
でもだからといって、面白くなかったわけではない。
確かに趣向としては「壬生義士伝」のほうが面白かったし、テーマの書き方もうまかったと思う。
でもこれは著者の処女作だし、なによりも“特攻隊”という知らなくてはいけない、でもあまり知らないことがテーマだったので、私にとって得るものが多い本となった。
しかも、最後の最後はどんでん返し的なものもあって、涙涙で終わった。
「壬生義士伝」が下敷きになっている、ということからわかるように、聞き語りの形式をとっている。
本書ははっきりと聞き手が分かっており、語られる人物の孫となっており、彼が主人公となっている。
ひょんなことから、自分が祖父と思っていた人物は血がつながっておらず、本当の祖父は特攻隊で亡くなっていたということを知る。
ジャーナリストの姉からの要請で、祖父について調べることになった、というのが話の導入部分となる。
いろんな人から聞く祖父は、当時の軍隊ではあるまじきことに、「死にたくない」と公然と言う人であった。
それでいて飛行機の操縦の腕は素晴らしい。
とまさに「壬生義士伝」。
もちろん「壬生義士伝」のように、語られる人物を悪く言う人もいれば、崇拝しているかのように言う人もいる。
ただお恥ずかしながら、日本の戦争事情をそこまで知らなかったので、色んな意味で哀しくなった。
まず、幹部の人たちの腰抜け具合。そしてそれに振り回されながらも、立派に任務をこなしていく非エリート。
どんなに成果をあげても、そしてアメリカ軍に恐れられていても、エリートではないということで、出世できないどころか冷遇されていた。
もちろん物質的な面からしてアメリカに勝てるわけがないのだが、それにしたってこんな上層部だったら勝つ見込みなんて0どころかマイナスだったんじゃないか、と思った。
人を人としてみないで、人を使うなんてうまくいくわけないし、責任を負わないで作戦を遂行するなんて成功するわけがない。
それなのに下で働く人たちがあれだけ戦ったのは、日本人だからだと思った。
その事実に衝撃を受けて、ひどい上層部と必死に頑張る下層部というテーマばかり印象的だったが、実はもうひとつ主題があって、それは人々の態度の豹変についてだった。
特攻隊など英雄視されていたのに、終戦後は狂信的な人と見なされたり、家族が村八分にされたり。
まあ そんなこんなで読み応えのある一冊だったのだが、難点はひとつ。
姉の恋物語はいらないよ!ていうところ。いったい何のためにあったのだか。
と文句で終わるのは忍びないので、最後にしみじみとした話を;
(戦後、戦った相手である元米軍兵と会って)
「ゼロのパイロットはすごかった。これはお世辞ではない。何度も機体を穴だらけにされた俺が言うんだ。本物のパイロットが何人もいた」
(p231-232)
私は思わず涙がこぼれました。彼は驚いたようでした。
「ラバウルの空で死んだ仲間たちが今の言葉を聞けば、喜ぶと思う」
彼は何度も頷きました。
「俺たちの仲間も何人も死んだ。今頃は天国で冗談を言い合ってるかもしれん」
そうであって欲しいと思いました。目の前にいるこんないい男たちと殺しあった過去が悲しくてなりませんでした。
百田尚樹 「永遠の0」 2009年 講談社
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