フェルメールの良さがいまいち分からない人へ (2/4)

人気の背景に仕掛け人もいた

トレ=ビュルガー(1807-1869)

フェルメール存命中、割と人気な画家ではありましたが、没後、同時代のレンブラントのように巨匠として名を残す画家ではありませんでした。
むしろ、フェルメールの作品をレンブラントなど別の画家の名前でかたられることもありました。

そんなフェルメールの「再発見」をしたと言われるのが、トレ=ビュルガー(1807-1869)という19世紀のフランスの美術評論家です。

フェルメールにすっかり魅了されたトレは、1866年に美術専門誌『ガゼット・デ・ボザール』にフェルメールについての本格的な論文を発表します。
それまで、一部の美術愛好家に知られていていたに過ぎないフェルメールの名前が、これによって広く知られるようになったのでした。

当時の芸術家たちも、こぞってフェルメールのことを絶賛します。
例えば作家のプルーストが、彼が書いた20世紀最高のフランス文学と言われる『失われた時を求めて』にて《デルフトの眺望》を絶賛しています。
また、他人の絵をまったく褒めないダリは、フェルメールの熱烈な信奉者で、「明日死ぬと分かっていて、1枚だけと言われたらフェルメールの《絵画芸術》が欲しい」と言うくらいです。
ゴッホも強く影響を受け、フェルメールブルーと黄色を使って作品を制作しています。

《デルフトの眺望》マウリッツハイス美術館 (Mauritshuis, The Hague)
《絵画芸術》美術史美術館

そんな感じで、トレによって”再発見”されたフェルメールですが、トレはただフェルメールが素晴らしいと世に訴えただけではありませんでした。
彼は、美術評論家であっただけではなく、画商でもあったのです。
つまり、純粋なるフェルメール信奉者だったわけではなく、商売魂も入っていたというわけです。

それが垣間見れるのが、トレがフェルメールと鑑定したのは73点。
その中で実際にフェルメールの作品だったのは24点。現在、フェルメール作品だろうと言われている37点の内、24点も見出しているので、鑑識眼は確かにあったはず。
それなのに49点も不正解を出しているということは、商売魂があったのでは…?と疑ってしまいます。

商売魂が入っていればプロモーションもしていただろうし、美術評論家でありつつ画商であったのですから、影響力もあったのでしょう。実際、フェルメールの値段は高騰します。
商売っけがあったのは悪いと言う気はさらさらありませんが、彼のおかげでフェルメールブームが巻き起こったということは否定できないでしょう。

さて、今の日本のフェルメールブーム。
さすがにトレの時代のブームからの直接輸入、というわけではありません。

1995年から1996年にワシントン・ナショナル・ギャラリーで開催された「ヨハネス・フェルメール」展から始まった一連のブームから来ているようです。
当時、最大解釈で36点だったフェルメール作品のうち、23点もが一堂に会したこの展覧会、今でも語り草になるくらいの大成功をおさめました。
因みに、この準備に8年という歳月を費やして、各美術館に交渉をしたそうです。
8年もかけての準備であれば、大々的なプロモーションは行ったでしょう。

このワシントン・ナショナル・ギャラリーでの展覧会は、オランダのマウリッツハイス美術館にも巡回したのですが、どうやらこの展覧会の背景には、オランダの国家的文化戦略もあったようなのです…

とはいえ、この時点では日本にとって、アメリカやヨーロッパでのお話です。
(ちなみに、雑誌「ブルータス」は1996年に「君はフェルメールを見たか?」という大特集を組んでいました。さすがだな、という感じですね)

日本で、今のようなフェルメール旋風が巻き起こったのは、2000年に大阪市立美術館で開催された「日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代」展によってでした。
この展覧会では、《真珠の耳飾りの少女》《聖女プラクセデス》《天秤を持つ女》《リュートを調弦する女》《地理学者》と計5点もの作品が、いっきに来たのです。
フェルメール作品が来たのはこれが初めてではなかったですが、それまでは1、2点程度。5点というのはすごい数だったうえに、《真珠の耳飾りの少女》といった人気作品が来日というのは驚異的なことでした。

1995年~1996年の展覧会でアメリカ・ヨーロッパで人気が高まっていたフェルメール。
もちろん、美術館から借りるのは無料ではありません。となると…高額なのは想像に難くないですよね…

そもそも何故、大阪だったかというと、当時、大阪は2008年夏季オリンピックを誘致活動を行っており、それに伴う文化活動が必要ということで名乗りを上げたのです。

オリンピック誘致のために文化アピール、そして借り賃が決して安くないフェルメール作品、しかもそれが5点!
失敗は許されない展覧会です。
いくらアメリカ・ヨーロッパをはじめとしてフェルメールブームになっていたとしても、ブルータスの特別号が増版するくらい売れていたとしても、何もしなかったわけありません。

このように、各時代で、各地で、様々な組織・人の思惑が入りながら、フェルメールブームは作られていったのです。

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