『グロテスク』のキャラがはまった新興宗教は、やはりオウム真理教がモデルとしか思えなくなった:早川紀代秀 川村邦光 「私にとってオウムとは何だったのか」


またもや「読む本リスト」を潰そう企画。
今回も三浦しをん女史が薦めていたのであろう「私にとってオウムとは何だったのか」。

実は、私にとって地下鉄サリン事件は幼少期の印象的な事件として挙げられる。
というのはサリン事件の数ヶ月前、阪神淡路大震災で被災し、人の命の重さというものを実感させられた。それなのに、天災という人間の力ではどうしようもないところで沢山の命が奪われたその数ヵ月後に、人間の手で無差別に人の命が奪われたということに、子供ながらにショックというよりも怒りを感じていた。

それに伴い、今までは地震一色だったメディアは、これ以降地震の話を忘れたかのようにオウムについて騒ぎ、まだ被災生活が続いている身としては、メディアの変わり身の激しさを初めて認識したものだった。

何はともあれ、「私にとってオウムとは何だったのか」は、元・オウム真理教の幹部である早川紀代秀氏の記述が前半、後半に宗教学者の川村邦光氏の考察、という構成で成されており、非常に興味深かった。

とにかく疑問はひとつ;なんであんなひげもじゃで、いかにも胡散臭げな麻原彰光を崇めたてるにいたったのか?

ちなみに川村邦光氏の考察は、宗教による洗脳・大量殺人は珍しいものではない、という趣旨の論評で、やはり当人の記述の方が興味深かったので、さらりと流すのでとまった。

早川氏がオウムに入ったころは、あまり宗教色が強くなかったので、ヨーガサークルに入る感覚で入ったらしい。
そして何よりもの魅力が麻原彰光による“シャクティーパット”だったという。

それからどんどん厳しい修行に入るのだが、ここで思い出したのがこの以前に読んだ桐野夏生の『グロテスク』だった。
その中に、新興宗教にはまってオウムのように殺人に加担するまでに至る、元首席の子が登場する。その子に言わせると、ゴールである大学に入学してから、周りに同レベルの人ばかりで明確な“一番”が分からなくなる。そこで新興宗教に入ってしまうのだが、そこでの修行が厳しければ厳しいほど、ステップアップしていくのが明確になり、それが深みにはまる理由となった、という。
早川氏が書いている厳しい修行を読むと、『グロテスク』の登場人物に通じるものがあるのではないかと思ってしまった。

特に“八九年十二月、インドでのマハームドラー成就のための修行。”“九〇年七月~八月、マハームドラー成就のための集中修行”(p85)なんていうふうな項目を見ると、その修行には明確なゴール(例えば長い修行の末の最終的なゴール、ではなく、一修行のゴール)があるみたいなので、余計そう感じてしまう。

この厳しい修行のなかで、川村氏の言うところの「変性意識状態に対する文化的解釈の所産」である“神秘体験”をして、ますます麻原彰光へ傾倒していくのだった。

一番印象的だったのは、初めて殺人(田口修二殺害事件)に関与した時のエピソードで、なぜ殺人に抵抗がなかったのか、という自己分析だった;

(選挙に大敗した後あたりから疑念が生じた、という記述の後)グル即ち“自らが認めた権威”を根本から否定できず、ほかの側近のせいにしてみたり、疑念を持つ自分を疑ってみたり、状況のせいにしてみたりしていたからだと思います。
 そして、どうしてそうなるのか、つまり、どうして否定できなかったのかというと、それは自らが認めた権威を否定することは、自らを否定することになったからだと思います。
 私達は、もともと、自己(エゴ)を否定し、グルへ自分を全面的に明け渡す道を歩んできていたのですが、そういう私達の心の中では、否定した自己に代わってグルが育っていました。しかし、そのグルは自らが認める権威として育っていたのであり、それは、とりもなおさず否定したはずの自己(エゴ)に育てられた、変形した自己(エゴ)だったというわけです。

(p140)

早川紀代秀 川村邦光 「私にとってオウムとは何だったのか」 2005年 ポプラ社

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